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江戸散歩地図作成は、徳川家康が入府したのちの都市開発に進みます。江戸の街は、家康の入府後、100年ほどで、人口が100万人を突破したと考えられています。現在の東京人口は、1300万人以上とされていますが、18世紀のはじめ享保年間(1716~1736)当時の江戸人口100万人は、世界でも類をみないマンモス都市として、世界最大の人口で数であったようです。産業革命直前のロンドンでは約60万人、パリでは約50万人であった事からも、江戸はそのさらに上をいくマス社会を築く大都市であったと考えられています。江戸散歩地図作成において、当時の江戸の様子を探る中では、江戸には、現在の東京にはない無数の中小河川が流れ、多くの斜面には、湧水が多くみられたようなのです。江戸は「水の都」と呼ぶにふさわしい、水場に恵まれた土地であったようです。現代の都市TOKYOには、高層ビルが立ち並び、高速道路の高架が空を遮るなど、都会における視野が狭まっているようにも感じますが、東京のあちこちに架橋がみられ、豊かな水の流れがまだ随所に確認できます。徳川家康が入府後、大規模な土木事業が開始され、江戸をマンモス城下町として築きあげました。自然の地形をそのまま利用しつつ、人工的な手を加える事で、都市開発としての大江戸、のちのTOKYOへの変貌を可能にしたようです。これからの未来都市を築くにあたり、江戸が100万人の人口を抱えるほどの成長を成し遂げた基盤が、自然との共生であり、人工都市としての資源の見分け方が、重要なのではないかと思います。やみくもに開発を試みるのではなく、人々にも自然界にも暮し易い環境を整える姿勢が、今後の私達には必要なのではないでしょうか。